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プロローグ(救いを)


 ああ、神よ
 万軍を指揮する神よ
 我が罪を許し給え
 我が咎を清水にて流し給え

 ああ、神よ
 全知の神よ 万能なる神よ
 哀れな子らを救い給え
 安らぎの国へ 連れて行き給え


 インターネットが浸透した現代、誰もがいつでもネット環境に接続できる状態にある。例えパソコンがなくとも、携帯を持っていればそこからインターネットアクセスが可能だ。
 便利な世の中。
 そして、それにまるで比例するかのように荒んでゆく人の心。
 便利なネット環境には、有益な情報もあれば偽りの情報、そして危険な情報も存在している。
 普通であれば、そんな情報を掲載しているサイトになどアクセスしないか、好奇心を満たすために閲覧するだけで、リアルで実行しようとする人間は極わずかだ。
 そんなサイトの中には「復讐屋」「仕返し屋」など、物騒な事を取り扱うホームページもある。「殺し屋」なんてものもあるが、もし殺しを依頼したところで高い料金を取られるだけで、実行してくれるわけもない。つまりは大概が詐欺サイトで、ウィルスサイトも中には含まれる。
 だから誰も、そんなサイトにアクセスもしないし、依頼もしない。
 ただのアングラサイトとして存在しているだけだ。
 この現代日本に殺人だとか復讐だとか、そういったものを完璧に、誰にも、警察にもバレないように行うのはかなりの至難の技で、しかもネットでの依頼だと余計にリスクも上がる。
 だから誰もそんな事は行わないのだ。
 例え、殺したいほど憎い相手がいたとしても、復讐したくても、大概の人間は我慢するのだ。

 だが、この現代日本、それも中都市程度のある街で密かな噂が流れていた。
 依頼すれば必ず実行してくれる、しかも料金は一切受け取らない、まるでボランティアみたいなサイトがある、と。
 常識的に考えれば、そんなはずはない。もし依頼があって殺人を実行したとしても、その証拠隠滅には相当の手間がかかるし殺人のリスクは無償で行えるものなのでは決してない。
 しかも、街の噂では「絶対に警察にバレない」そうだ。
 なんでも、誰かを殺したいほど憎んでいる人物をわざわざ殺人サイトの方から声をかけてくるらしい。そして、もしもその声をかけた人物が「殺してほしい」と依頼したら、その一週間後には必ず実行される。そして完全に証拠を隠滅させ、しかも依頼した人物は一切、警察に疑われずにすむ……というまるで夢か魔法のような噂があるのだ。
 その逆もある。
 殺人サイトに依頼してくる人間も少なからずいるもので、その中には半信半疑、ちょっとした悪戯心で依頼する人間もいる。だが、殺人サイトは全ての依頼を受け付け、そして実行してしまう。
 まあ、そんな殺人サイトが簡単に検索して出てくるわけもないから、ほとんどが偶然に見つけてしまった場合のケースだ。その殺人サイトのアドレスを知っている者は、少なくとも街の人間じゃ一人もいない。
 偶然に声を掛けられ、偶然にサイトにアクセスしてしまった者だけが、殺人サイト……通称【Cocytus】によって殺人が行われてしまうというわけだ。
 もちろん、そんな噂を信じているのは極一部で、街の大多数の人間はそんな事は微塵も信じていないし、噂が広まったのも2年前だから、だいたいの人間の記憶からは消え去ってしまった。
 そんなサイトなんて、あるわけもない。
 あってはいけないのだ。



 
 電車に乗り遅れてしまった……。
 暗い夜道を足取り不安定に歩いている吉松は苦々しく心の内で呟いた。
 食品コンサルティング会社に入社してすでに26年目の吉松は、順調に出世を重ね、今では課長の椅子に座る事ができた。
 そこまで大きくない会社だから取引内容も会社に比例するかのように、微々たるもので、やりがいこそは感じていなかったが地道に作業をしてくのは真面目な性格の吉松にはぴったりの職業で、そこまで会社には不満がない。
 だが、一つだけ会社での不満がある。
上司である長谷川部長は、真面目で控えめな吉松から見ても傲慢で、しかも酒癖が悪い。年中部下を居酒屋に誘い出し、アルコール度数の高い酒を無理やり飲ませようとする。
 気の弱い吉松は、気の強い長谷川から見れば格好のカモだったのだろう。年がら年中、居酒屋へと誘い出され、酒の飲めない吉松に無理やり酒を飲ませ、その姿を長谷川は下品な笑い声で嘲笑う。
 大人しい性格の吉松も、さすがに腹が立っていた。
 しかし、気の弱い性格の吉松が上司である長谷川に意見を言えるわけもなく、今日もこうして酒飲みに付き合わされてしまったわけだ。
 なぜか今晩は機嫌が良かった長谷川は、終電に間に合わなくなるから、という吉松の必死の嘆願も聞き届けずに夜の2時まで吉松を付き合わされた。
 無論、終電には遅れ家まで徒歩で帰る羽目になった。
 明日が日曜で会社が休みなのがせめての救いだ。
 しかし、もう季節は冬真っ盛りでいくらコートに身を包もうとも凍えるように寒い。しかも夜の気温は氷点下を上回り、暗い夜道を酒に酔った体で歩くのはかなり辛い。
 時々足元が覚束なくなって、電柱に頭をぶつけた時、どうしょうもない空しさが吉松を襲った。
 家には妻と一人の娘がいる。娘はまだ小学校に上がり立てで、少しわがままな性格だが可愛らしい娘だと吉松も、吉松の妻もたった一人の子どもに溺愛していた。
 だが、妻との関係は最近うまくいっていない。
 課長に昇進する前までは、だいたいいつも定時に退社できたし、たまに酒を飲んで帰ってきても、それでも11時を過ぎる事はなかったはずだ。
 なのに課長に昇進し、今まではまったく話もした事がなかった部長に目を付けられてしまい、夜遅く帰るは酔ったままで帰宅するわで、妻は腹を立てていた。
 日曜日は、だいたい二日酔いで体を休める事しかできずに、子どもや妻と昔のようにどこかへ遊びに行く事もできない。
 吉松自身としては、妻や子ども達との時間を大切にしたい。だが、それを長谷川部長は許してくれず、休日もゴルフで駆り出される事も多々あった。
 お陰で、妻との関係は最悪。
 いつ妻から離婚の話を切り出されるかとビクビクと怯えてしまう。
 これも全部、長谷川部長が悪いのだと、吉松は何度目かの悪態をついた。
 殺してやりたい、とは何度も思った。だが臆病な吉松にそんな事ができるわけもないし、復讐も、パワーハラスメントだとして長谷川を訴える事もできない。
 情けない自分に腹が立つばかりで、結局何もできずにいる。
 また来週からは、同じような日々が続き、妻からは呆れられるのだろう。
 そしていつかは、妻から離婚届けの判を押すように責められるのだろう。
 ふぅ、っと深いため息を吐くとふと、夜空を見上げてみたくなった。
 いつもいつも地面ばかり見つめて歩いてきたから、夜空なんて見上げた事なんかなかったが何故か夜空を見たかった。
 酒に酔っていたからだろうか。
 それとも、夜空を見て荒んだ心を癒されたかったからなのだろうか。
 冬の大空は広く、それほど高いビルが建っていない街だから夜空は大きく見えた。
 だが、空には雲がかかっているのだろう。満天の星空とまではいかなかったが、雲の合間から微かに見える星星の輝きに吉松は目を奪われた。
 白く煌く星。そして青白く輝く月。
 吉松はしばらく、見とれていた。

「今晩は。いい月夜ですね」

 唐突に人の話し声が夜道に響いた。
 吉松は度肝を抜かれるような思いだった。
 美しい夜空を眺めていた吉松の視線はずっと上を向いていたから、人が近づいて来ていただなんて思いもしなかった。
 吉松は慌てて視線を夜空から、声をかけてきた人物に移そうとした。
 だが辺りは真っ暗で、電灯の明かりもわずかなもので電灯の下にでも立っていてくれないと、その人物が男か女かも認識できない。
 月の、僅かな明かりで薄っすらと人の輪郭が闇夜に浮かびあがって見えるくらいだ。
 かなり身長の高い人物に見える。体の線は細い。
 高身長の女性なのかもしれない。だが、さっき話しかけられた時の声は紛れもない男性の声だった。
 もしかしたら、夜警の警察官なのかもしれない。
 住宅街の夜道で、空をぼーっと突っ立って見ている中年男性なんてどこから見ても不審者に見えるだろう。吉松は慌てて、弁明をしようとした。
「あの、星空が綺麗で……見とれていて、あの、その。別に怪しい人物じゃないんで……」
「別に私はあなたが不審人物だと思って、話しかけたわけじゃありませんよ。夜空に見とれる、なんて誰にでもある事でしょう?」
「は、はぁ……」
 ずいぶんと落ち着いた声で話す人だな、と吉松は思った。
 はっきりとした話し方で、人を安心させるような声を持っている。
 だが、警察官でもないのなら、一体誰なんだろう? この時間帯にこんな住宅街の細道を歩いている人物。散歩か?
「……えっと、あなたは散歩でここに? それとも、家に帰る途中ですか?」
 一々人の事を詮索するのは失礼だな、と思いつつも詮索してみたくなる。
 きっとこの時間帯に夜道を歩いている人物なんて、家に帰る人か夜に散歩をする趣味がある人のどちらかだ。
 だが、男性は「いいえ」と静かな口調で答えた。
「私は散歩でここにいるわけじゃありません。もちろん家に帰る途中でも。……あなたに会うために、ここにいるんですよ」
「は?」
 吉松は間の抜けた声を出した。
 こんな夜中に、しかも外で、顔が見えないが、恐らく知らない人物であろう男からそんな事を言われて、疑問に思わない人物などいるのか?
 いない。恐らく、確実に。
「わ、私はあなたを知りませんよ」
 怯えた声で吉松は顔の見えない男性に告げた。
 まるで顔の見えない男性が幽霊のように思えてきて、恐怖を肌で感じていた。
「ええ、そうでしょうね。私もあなたと会うのはこれがはじめてです」
「じゃ、なんで、そんな、事」
 男性の声音は吉松の怯えて震えた声とは真逆の、落ち着いてしっかりとした声だった。
「ですが、あなたから私はあるものを感じました。それが何か、ご存知ですか?」
「あるもの…・・・?」吉松はしばらくの間、思考に耽ってみたが、男の言っている意味が結局はさっぱり分からなかった。
「そう、あるものです。……あなたは誰かに、強い恨みを持っていませんか?」
 男の声はどこまでも落ち着いていて、それが逆に無慈悲で感情のないロボットのように思えた。
 吉松は思わず頷きそうになったが、なんでこんな怪しい男の話に付き合わなければいけないのか、と思い返してここから逃げ出そうと、男から背を向けた。
 この男はきっと、気が狂っているんだ。
 そんな男と話したら、こっちの身も危険だ。
 そう吉松は判断して、恐怖と酒酔いで震える足で歩き出そうとした。
 
「殺したくありませんか? ……憎い上司を」
 嘲りも混じっている男の声に、思わず吉松は足を止め、振り返る。
 なんでそんな事を知っているのだ、と強い口調で男を問い詰めようとするが、男の次の言葉によって吉松の思考はまるで凍ったように、動かなくなってしまった。
「殺してあげますよ。あなたの憎い上司を」

 まるで甘い毒のような声音に、吉松はただ頷くことしかできなかった。
 例えこれが蛇の甘言だとしても、今の吉松の思考能力に理性は存在していなかった。
 

 存在しているのは、憎悪だけで。
 必死に何度も頷く吉松の姿を、赤い瞳が嘲笑っていた。
 

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救いは……(2)

 
私より一つ年上に見受けられる先輩は、ゆったりとした動作で市川先輩の座るソファーへと近づいてくる。
「よぉ、市川。ここにいたのか」
 先輩はまるで私なんか存在していないかのように、市川先輩に話しかけて目を合わせている。市川先輩は男の先輩へ対して微笑みかけた。
「あら、新庄君」
「おう」
 
 二人は親しげに微笑み合っている。どうやら二人の様子を見ると、知り合いらしい。
 市川先輩と男の人は簡単な挨拶を交わすと、男の人が私の正面のソファー……つまり市川先輩の左隣へと腰をおろした。
「やだ、隣に座らないでよ。汗の臭いが移るじゃない」
「何言ってやがる。これは青春の汗だぜ?」
 男の人の服装をよく見てみると、学校指定の半袖シャツの脇の下は汗で濡れていた。あと、うっすらと男の人の額から汗が染み出ている。
 それを見て、市川先輩は心底嫌そうな顔をした。
「はぁ……あなたにとっては青春の汗でも、私にとっては腐臭の汗なのよ」
「そんな言い草はねぇだろうが」
「それにあなた、服装もこんなに乱れて。下品だわ」
 市川先輩の言う通り、確かに男の人の服装は乱れていた。校則じゃシャツはズボンに入れるはずになっているんだけど、シャツは出しっぱなしだしボタンも第三ボタンまで開けている。髪の毛もボサボサで、茶色に染めていた。 
「これはファッションなんだって」
「ファッション? ただ面倒くさくて、ボサボサにしているだけでしょうに」
 と、市川先輩は男の人の髪型を指差しながら言った。
「こういうヘアースタイルがあるんだって!」
 男の人は何かを必死に説明しようとしているが、市川先輩に一睨みされて、押し黙った。
「はぁ……」
 呆れたようにため息を吐く先輩。
二人のやり取りを聞いていて、相当この二人は親密らしい。だけれど、男の人は一体誰なんだろう?
見た事のない顔だ。
「(…………?)」
 私は二人のやり取りを見て、中々仲に入る事ができずに首を傾けていた。

「で、市川はどうしてここにいるんだ?」
「まぁね。あの人に呼ばれて……まったく、ふざけるんじゃないわ。こっちの都合も知らないで……」
と、苛立ちを隠すこともせずに市川先輩はその美しい顔立ちを歪めた。それでも美しく見えてしまうのだから、市川先輩って何度も思うけれど、本当に美人だ。
「まぁまぁ、そんなカッカするなよ。大事な用事かもしれねぇじゃないか……で?」
 男の人は私の目をじっと見据えて、意味ありげな笑みを口元に浮かべた。
「こいつ、誰?」
男の人の視線には好奇心みたいなものが含まれていて、私はなんだかいたたまれないような気持ちになった。こんな人にじっと見つめられているなんて、しかも男の人に見つめられているなんて事、生まれてから一度もなかったから。
それに。この男の人の言葉遣いが少々乱暴だ。男の人っていうのはみんなそうなのかもしれないけれど、男の人に慣れていない私には少し怖く感じてしまう。
「(こ、こいつって……なんだか怖いな)」
無論、そんな事を正面きって男の人に言えるわけもなく。心の中で呟くだけだった。
恐縮して、これからどうすればいいのか途方に暮れていた時、市川先輩が優しい声で、「2年3組の山本優美さん。先生を待っているらしいわよ」と言ってくれた。
お陰で、男の人の視線は市川先輩に移り、私はほっと安堵する事ができ……そうだったんだけど、「……へぇ?」という男の人の声に私は思わずビクっと肩を震わせてしまう。
その声があまりにも低くて、無感動なものだったからだ。
男の人は白い歯を見せ、私に向かってにやっと笑った。焦げ茶色の瞳がまるで私を視線だけで刺し殺せるみたいに、鋭い目で私を見ていた。
  
……その、鋭い、いや無感動な視線に私は言葉を失ってしまう。あまりに無慈悲なその双眸は、私を押し黙らせるには一番効果的だった。
「……ちょっと耳貸せよ、市川」
と、男の人は私から視線を唐突に逸らすと、市川先輩へと向き直った。市川先輩に対しても、まだあの無慈悲で無感動な瞳だった。
だが、市川先輩は男の人の瞳を見ても何も動じない。
 ……あの無慈悲で無感動で、まるで人形のような瞳から解放された私は、誰にも気づかれぬよう、心の中でほっとため息を吐いた。
「何……?」
市川先輩はくすくすと笑いながら、男の人の言う通りに耳を貸した。
2人は私には聞かれてはマズいような話をしているのだろうか。お互い真剣な表情で何かを囁き合っている。
 すごく話の内容が気になるけど、私が2人の話を中断させて割って入っていくなんて真似はとてもじゃないができない。
 それに2人は小声で話し合っていて、それが完璧に私には聞こえてこない。だから私は2人の会話が終わるのを待つしかできないのだが、意外と早く終わった。
男の人が私を振り返って、にやっと笑ったからだ。
「(何の話、してたんだろ……)」
 
短い会話の中に、何か面白い話でもあったのだろうか。市川先輩と男の人は楽しそうに談笑している。
「――へぇ? 面白い話じゃない」と市川先輩の表情に、笑みが浮かぶ。
 市川先輩の綺麗に整えられた眉毛が微かに上下し、その黒い瞳は好奇心に満ち溢れ、まるで黒真珠のように輝いていた。
「だろ? このためにアイツ等から奪い取ってきてやったんだぜ。アイツ等、いきり立っていたなァ」
 男の人はギラギラ、という擬音似合うような、獲物を狙う狩人のような……そんな獰猛な瞳を輝かせていた。
 私は思わず、息を呑み込む。
全身を駆け巡る寒気と、鳥肌に私は自分が目の前の2人に恐れを感じている事に気づく。尋常ではない、ものを感じるからだ。
何という言葉が似合うのだろうか……悪意?いや、もっと別のもの――。
……そう、殺気だ。
 私の恐怖は顔に出ているはずなのに、市川先輩は怯えている私をチラっと一瞥しただけで悠然とした態度で、男の人に対して呆れたような顔をしている。
「まったく、恵吾。あなたはいつも意地汚いわ」
 男の人を諭すような優しい声で先輩は言ったけれど、今の私には市川先輩の瞳も男の人と同じように獰猛で、毒々しくて……なんだか不気味で……殺気を感じてしまうような瞳をしている。
 私の膝や肩は激しく震えはじめる。
何に恐れているの?
何に怯えているの?
 そうだ。私は2人に怯えているだけじゃない。2人から感じる明確な殺意に怯えているのだ。それは”死”を恐れる人間としての本能でもあって。
 2人は私の怯えた表情を見て、何が愉快なのか唐突に笑い始めて、その悪魔のような笑い声が私の頭の中で何度も反芻した。

「くっくくくく……」
「あははははははっ!」
 
「な、何なんですかっ! あなた達は、一体、何なんですかっ!?」
叫ぶように声を荒上げた。
自分でもよく分からなかった。一体、何がどうして、どうしてこうなったのか。どうしてこの人達は笑っているのか。
分からなかった。
だから、怖い。
だから、逃げ出したい。
 恐怖に体が小刻みに震えて、せめてもの強がりで大声を上げても震えは収まらない。そんな無様で情けない私の姿を見て、2人はまた可笑しそうに嗤う。
「あら、優美さん? もしかして……怯えているのかしら? くすくす……一体何をそんなに怯えてるの?」
囁くように、優しく市川先輩は言う。その声音はまるで私を落ち着けさせるような穏やかな声音だったけど、今の私にはただの不気味で悪意のある言葉にしか聞こえなかった。
……そんな事を思ってしまう私は、異常なのだろうか?
「怯える姿もいいが……くっくく」
と、男の人は愉快そうに嗤い、腹を抱えて爆笑していた。
私は逃げ出そうとした。これは何かきっと、間違いで、きっと私の夢なのだ。おかしな夢を見るものだ、まったく。
私は一目散に職員室のドアまで駆け出した。そしてドアノブに手をかけ、思い切り開けようとする。
だが、その時にほんの少しだけだが男の人と視線が合った。
……射止めるような、鋭くて無慈悲な眼光。それに射止められてしまうと、身動きすら取れなくなってしまう。
今この場所を支配しているのは、私じゃなくて、市川先輩でもなくて、”彼”なのだ。 そんな私の様子を男子生徒はにやりと笑う。

「せっかくの朗報がテメェにあんだ。……喜んで聞けよ?」

 彼は愉快そうに嗤うと、白い歯を見せながら物語を語り出した。いや、物語ではない。創作されたものじゃないんだから。
でも、どうして?
どうして、彼が知っているの……?
 
私しか知らないのに。
誰にも知られたくない”物語”なのに。
 

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救いは……(1)


太陽はすでに姿を隠しはじめ、橙色の濃い光が校舎を照らしていた。
この時間帯に生徒の姿はない。すでに下校時間が過ぎ、生徒達は強制的に下校させられていた。
 窓の外から見える夕日は、とても美しく輝いている。橙色の光は校舎から見える街を照らし、校舎も照らし、自分自身も照らし出す。目を閉じてしまいたい程に眩い光だ。
 だが、この眩しい光もすぐに姿を消し街は闇夜に包まれてしまう。
 その前に用が終わればいい、と私は思う。夜道を一人で歩くのは心細いし、何より心配性な母に心配を掛けさせてしまう。なんとしてでも、それだけは避けないと。
 私はそんな事を考えつつ、職員室のドアを数回叩いて中へと踏み込んだ。
「失礼します……って、あれ? 誰もいない……」
 私が入った職員室はいつもの職員室とは違う、静かで誰もいない職員室だった。先生の姿が見当たらず、広い職員室のどこを見渡しても空席だ。
 いくら下校時間が過ぎているとはいえ、それは生徒の話だけで教師は違う。普段ならまだこの時間帯には教師がいるはずだ。
「おかしいな……」
 どうしたのだろうか、と私は疑問に思いながら教室に先生がいないなら私がここにいる意味はないのだから、職員室を出ようと踵を返した時、背後から突然声をかけられた。
「どうかしたのかしら?」
 誰もいない、人の気配すらもない職員室から急に声がしたから私の胸は激しく鼓動を打った。
「わっ!?」
 驚きのあまり、私は思わず間抜けとしか形容できない声を上げてしまった。
後ろを振り向くと、一人の女子生徒が立っていた。見ない顔の女子生徒だ。先輩だろうか?
「人の顔を見て叫ぶなんて。品のない人だこと」
静かで落ち着いている声には微かな苛立ちを感じてしまい、私は思わず「ごめんなさい!」と謝ってしまった。
別に私が謝る必要なんてないんだけど、彼女を取り巻く何か強烈なオーラが私を怯えさせていた。
私に声をかけた女子生徒……彼女はとても不機嫌そうに目を細め、私の目を睨み付けるように見つめていた。
そして何より私が驚いたのは、不機嫌そうに眉を顰める女子生徒はとてつもない美人だった事だ。
黒髪のロングヘアーは背の高い、しかも色白な彼女によく似合っているし、切れ長の瞳は和風美人を連想させる。
彼女の髪は私のボサボサ頭とはまったく違って、黒真珠のように綺麗で真っ直ぐ整っていた。それに私と同じ制服を着ているはずなのに、彼女はまるでモデルのように着こなし、他の女子生徒たちとは一線を越す存在に見えた。
……こんな綺麗な人、見た事ない。
それが私の第一印象だった。
「いきなり後ろから声を掛けられたから……びっ、びっくりしちゃいまして!」
彼女があまりに鋭い目つきで睨み続けているから、私は必死に弁解しようとオドオドと情けない声で言った。
そんな私の様子に少しは理解をしてくれたのか、彼女はふんっと小さく鼻を鳴らして、そして微笑を浮かべた。
「まぁいいわ。次からお気をつけなさいな。……それで貴女、どうしたの? もう下校時間はとっくに過ぎてるわよ?」
 それを言うなら彼女もそうだけど、そんな事言ったら絶対に彼女の気を害する事になるだろうから口を噤んだ。
「えっと、担任の先生に呼び出されまして……」
「あら? 先生方ならこの時間帯は職員会議に出てるの。――明日にでもしたらどうかしら?」
「でも……」
 私の頭に浮かぶのは先生の姿だ。時間にうるさい先生は私がもし約束を破ったら、鋭い剣幕で私を叱るだろう。
  それだけは避けたい。
私の思っている事に彼女は気づいてくれたのか、彼女は小さく溜息を吐いた。
「はぁ……じゃあここで待ってる? 後三十分はかかると思うけど」
 三十分も経ってしまえば、薄暗い夜道を下校しなくちゃいけないかもしれない。それでも先生に怒鳴られるよりはマシだと思って、私はしばらくの間職員室で待っている事にした。
「はい、そうします」
「じゃあ、ここに座って。ここは私の部屋じゃないから何も出せないけれど、勘弁してね」
「いえ……」
 私は彼女に進められるままに応接用のソファーに浅く腰かけた。彼女は私の真正面に当然のようにゆったりとした動作で腰かけたけど、勝手に職員室のソファーに座ってていいのかな?
でもあんまりにも彼女が自然な動作で座っているから、なんだか座っていてもいい気がしてくるから不思議だ。
しばらく私も、彼女もお互い口を開こうとせず嫌な沈黙が空気を支配した。
どこに目をやればいいのか困って、彼女の顔をじっと見つめて、視線が合いそうになったら慌てて視線を逸らす事を何度も繰り返していた。
「(それにしても、綺麗な人……)」
彼女を何度も見つめる度にそう思う。
細い体。長い足。白く透明な肌に、人形のように整った顔立ち。……どこを取っても、綺麗で美しい。
「さっきからジロジロ見て、何かしら? 私の顔に何か付いてる?」
私の覚束ない視線に彼女は気づいたのか、また不機嫌そうな色を帯びた声で尋ねられて、私は慌てて頭を下げた。
「い、いえいえいえ! すみません!」
 私はただ必死に、彼女の機嫌を損ねないように謝っただけなのに、どういうわけか彼女はクスクスと声を立てて笑い始めた。どうやら私があまりにも必死に謝るものだから、そこか彼女のツボだったらしい。
でもいつも不機嫌そうに眉を顰めている彼女が突然笑い始めたから私はかなり驚いて、そして少しだけ緊張感が緩んだ。
「くすくす……退屈しない人だこと。失礼だけど、お名前聞いてもいい?」
「あ、え、えっと……」
 彼女の細められた瞳には私に対する好奇心が見えた。突然名前を求められて、私は自分でも情けないくらい慌ててしまった。
すごく恥ずかしい。
「わ、私……、二年三組の山本由美って言います……」
 絞り出すように声を出したものだから、囁くような声で言ってしまった。こんな小さな声で彼女に伝わったのだろうか……?
不安げな目で彼女を見ると、彼女は何かを思い出したように手をパンっと打った。
「あら、美化委員の山本さん?」
「え」
 面識のないはずの彼女に私の所属している委員会の名前を当てられて私には出てくる言葉がない。
私の名前を知っている人なんて、校内でも数えるくらいしかいないのに。どうして彼女が私なんかの名前を知っているんだろう?
「ご、ご存じなんですか?」
探るように私は彼女を見つめた。
だけど、彼女は私の真剣な眼差しをまるで受け流すように、彼女はどこか嬉々とした表情を浮かべた。
「貴女、いつも学校の花壇を綺麗にお手入れなさっているでしょ? それに私、とても感動してよく覚えているのよ。こんなに綺麗にお手入れなさっているのは誰かしら、って思って、貴女の名前も調べたの。……ごめんなさいね、でもこんな綺麗な花を咲かせられる子がこの学校にいるとは思わなかったから」
 彼女は嬉しそうに私の顔を見ているけど、私は別段特別に花が好きってわけじゃない。
美化委員に入ったのも仕事があまりなくて楽ができそうだから、というのが美化委員会に入ったきっかけだった。
最初はそんな理由から入ったのだけど、だんだんと活動をしていく内に自然と花が好きになった。
 今までは花を見ても「綺麗だな」ぐらいしか思わなかったんだけど、今じゃ花を育てる事に安らぎを感じる。
……だから、ここまで私の植えた花に喜んでくれる人がいてくれた事に私は純粋に嬉しく思った。
私の今までしてきた事が、人に喜ばれるなんて。
 今までにない事だったから。
 私は喜びを隠せずに、照れ笑いしながらお礼を言った。。
「あ、ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこちらの方だわ」と彼女は微笑んだ。笑う口元を手で覆い隠して笑う彼女の動作を私は見とれるように見つめる。
一々動作が上品で、優雅だった。
……こんな人、私の周りにはいない。
 きっと育ちの良い人なんだろうなぁ、なんて私はぼんやりと思う。
「――そういえば、今はスイセンの花が綺麗な時期ね。あれも貴女が植えたのかしら?」
静かで透き通った声で彼女は言う。
「……え、ええ。その……綺麗だなぁ、って思って」
美化委員でこの時期何を植えようか、と話し合いをした時に私がスイセンにしよう、と言ったのだ。
他の美化委員のみんなは「別に何でも良い」って感じだったから、私の意見はすんなり通されて、学校の花壇にはスイセンがたくさん植えられた。
「あら、そうなの」と彼女は嬉しそうに言った。
 だが彼女は、さっきまでの嬉々とした表情とは打って変わって瞳をすぅっと鋭く細めて、妖艶に微笑んだ。そこには悪意のようなものが感じられた。
「そう……いいセンスね……私も好きよ。スイセン」囁くように言うと彼女は唇を吊り上げた。
 綺麗な顔立ちの彼女が笑うと、とても美しい。だけど、なぜか私にはその微笑みは人間らしいも感じられなかった。
それは人形のような端正な美しさを持つ彼女だから、そう感じるのかもしれない。けれど、彼女の笑みにはどこか毒々しいものを感じる。
 所々に悪意を感じる、と言うべきなのか。
 まるで私に悪意があるように感じて……。

 だから、彼女がぽつりと漏らした言葉に私は恐怖に似た感情を抱いたのだ。

「……だってスイセンは、毒々しい花だもの。だから、美しい」
 恍惚、という言葉がぴったりなように呟く彼女の顔は毒々しい笑みを浮かべていた。
 まるでさっきの彼女とは別人のようだ。
 私は思わず疑問をもらした。
「え……?」
 彼女はくすくすと笑いながら私をじっと黒い瞳で見つめた。
「あらご存じないの? スイセンの花ってね、球根に毒があるのよ。……そこまで強い毒じゃないけれども……毒があって美しいってなんだか素敵じゃない? 美しいものには毒がある、ってね。ふふふ……」
 彼女の笑い方は、人を恐怖に陥れる力があった。
「(怖い……)」
 ただ花の話をしているだけなのに、どうしてこんなに怖いの? 私は泣きそうになるのをぐっと堪えて、恐る恐る彼女を見た。
「あ、あの……えっと」
 何でもいいから何か言わなくちゃ。 
 そう思った私は彼女の名前を呼ぼうと口を開いた。が、私は彼女の名前を知らない事に気づいた。
彼女は、私が必死に名前を呼ぼうとして口をパクパクさせているのに察してくれたのか、
「あら? ……ああ、そういえば名乗ってなかったわね。ごめんなさい……私、市川あやめと言うの」と自分から名乗ってくれた。
が、彼女の名前を聞いたとたん、驚愕の思いが胸を貫いた。
「……! それって……生徒会長……」
呆然と呟く。
 市川あやめ。
 このマンモス高校の生徒会長で、その美貌とカリスマ性から、この学校の生徒で彼女の名前を知らない人はいないと思う。
生徒会とかその他行事の時、私は必ずサボるから二年生になった今でも市川先輩の姿を見た事がなかったから、最初は何かの冗談かと思っていたけど、いざ市川先輩と対面してみて、それも頷けるような気がする。
中には市川先輩を神の如く崇める人もいる、なんて話もあながち嘘じゃないんだろう。
モデルにも中々いないような美貌とスタイル。その独特な語り方、強烈なオーラ。
 ……納得するしかない。
「私としては、今まで知らなかった貴女の方が驚きだわ」と市川先輩はどこか愉快げに驚いてみせた。
 ……それは、私があまり学校に興味がないから。
家の事とバイトが忙しくて、授業も時々サボってしまうし、学校にいてもほとんど寝ているか花壇をいじくっているかのどちらかだ。
 だから生徒会長の顔を知らないのは当然で、校長の顔もあやふやだ。
「すみません……」
 市川先輩の自信満々な態度に押されてしまって、私は謝ってしまう。
「別に責めているわけじゃないの。謝らないでちょうだい」
「は、はいっ……」
その時だった。
突然乱暴に職員室のドアが開かれたと思うと、どかどかと足音を立てて誰かが入って来た。
思わず私はドアの方へと視線を向ける。
「(先生が帰ってきたのかな……)」
だけど、予想に反してドアから挨拶もせずに入ってきたのは一人の男子生徒だった。
短い髪を茶髪に染めた不良みたいな生徒で、背が高く顔立ちのいい男子だった。

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