空の翡翠
SS
あの人がいなくなって、何年の月日が流れただろうか。
私の部屋の本棚の上に置かれているあの人の写真は、あの頃と変わらず写っていた。何も変わらずに、風景でさえあの頃と同じように。
変わってしまったのは、激流のような日々を過ごしてきた私だけで。
何故だか、取り残されてしまったような感覚がした。
あの人は私を愛してくれて、不器用な私の精一杯の言葉を優しい笑顔で受け止めてくれた。
心を閉ざしていた私と、いつでも明るくて優しいあの人。
正反対の私たちは、どこか惹かれあっていたのだろう。どちらが告白するまでもなく、私たちは付き合い始めて。あの人と過ごした、夜空に一つだけ浮かんでいる一番星のような日々に、私は意味もなく浮かれていて。
あの人に甘えて過ごしていた。
だけど、あの人は死んでしまった。
私の悩みはたくさん聴いてくれていたくせに、自分の悩みなど一度も私には相談してくれなくて。一人で抱え込んで、あの人は一人孤独に死んで行った。
自らの喉元をナイフで突き刺して。
……私はただ、甘えていただけなのだ。
自分の話ばかりをして、自分勝手に振る舞って。
あの人の心の闇を、受け入れる器がなかったのだ。
あの頃の、弱い私に誰が悩みを打ち明けるのだというのだろう。
心は脆弱で、甘えてばかりの私にあの人はひっそりと暗闇を隠して。
幸せそうに笑っていた私の陰では、あの人は辛そうに泣いていたのだ。
ああ、なんであの時に気付けなかったのだろう。
私の甘えが、どれだけあの人を傷つけていたのだろう。
……今更後悔しても、遅い事はわかっている。
後悔したって、あの人は生き返らないのだ。
だから、私はあの人の最後の言葉を胸に抱えて生きて行くしかないのだ。
あの人が死ぬ直前に、私の携帯に送られてきた一通のメール。
『前を見て。
そして、笑って。
強く、生きて』
死ぬ、直前まで私の事を思っていてくれたあの人の事を思い返すと今でも胸が痛む。
時々、泣いてしまう。
だけど、私は生きていくしかないのだ。
流れるような、早い時間を越してきた私は、昔よりは強くなれたと思う。
あの人の、横に立てるくらいは。
強く、生きる事はまだ無理かもしれない。
あなた、という存在が私の心の空洞に存在し続ける限り。
でも私は、あなたを忘れる事はできない。
私があなたを思い続けている限り。
私が、笑って幸せに生きていくために。
私はあなたを、忘れる事などできないのだ。
毎日
1
かつて私には恋人と呼べる存在がいた。
かつてという言葉には過去形を含むから現在私には、恋人はいない。大学の友人たちにはだいたい彼氏か彼女がいて、なんだか私だけ取り残されているような気がするけれども、今現在、私には新しい恋人を作る気はない。
別に異性に魅力を感じないとか、同性しか愛せないとか、そういうわけで作らないんじゃない。
昔はそれなりに異性に関心を持っていたし、男性に体を抱かれる事も何回かあった。だけど気難しい性格の私は、あまり男性側にとっては魅力的な存在ではなかったらしい。だいたい付き合って三ヶ月もしない内に男性側から別れを告げられて、その度に私は不機嫌になって私を振った男の顔面を殴りつけてやる事も一度はあった。
そのくらい気難しく、そして荒々しい私に近づいてくる男など大学に入学して半年も経たない内に一人もいなかった。
だから私は諦めていたのだ。
私を理解してくれる男なんかいない、私の全てを受け止めてくれる男なんていない、と。だけど神様は何を思ったのか、それとも何も思わずにただ私をからかいたかっただけなのか、クリスマスイブの日に私をある男に会わせてくれた。
それは文芸サークルのクリスマス会。
私は本こそは読むが、自ら小説を書いたりはしない。だから無縁のサークルだった。というか、集団で行動するのが大嫌いな私はサークルそのものを毛嫌いしていて、どこにも所属していなかった。
だから文芸サークルの友人からクリスマス会に誘われた時、私は断ろうとした。だって文芸サークルで顔見知りなのは私をクリスマス会に誘ってくれる友人だけだったし、あまり大勢の集まった場所で長時間居続けるなんて苦痛でしかないのだから。
だけど、文芸サークルの友人は私を強引にクリスマス会に連れて行こうとした。「大丈夫、人はそんなに多くないから」という友人の言葉を半信半疑で信じて、嫌々ながらもクリスマス会に参加する事になったのだ。
2
場所は大学でもカラオケ店でもなくて、コーヒーの香りが店内に充満している小さな、だけどお洒落な喫茶店だった。
店内の配色はだいたい黒で統一されていて、木造作りのディスクや手作り感漂うチェアがあって少し暗いようなイメージを受けたけど、落ち着けるお店だと思った。
文芸サークルのメンバーは店内の一番奥の、十人くらいが向き合ってコーヒーを飲める席に全員揃って座っていた。
どうやら最後に来たのは私と友人みたいで、開いている席に小声で「お邪魔します」と言いながら座った。友人は私の隣の席に腰かけ、バッグは床に置いていた。私も友人に習い、白い布でできた手提げ袋を床に置くと、私は周囲を見渡した。
文芸サークルの面々は友人が連れてきた私に多少の興味を持っていたようで、学年を聞かれたり、好きな作家の名前を聞かれたりした。みんなが落ち着いた雰囲気で、和やかに好きな作品を語ったりただの雑談をしたりしているから、私の緊張も解れてすんなりと文芸サークルの人たちと解けあうことができた。
コーヒーと簡単な食事が出てきて、ますます会話は盛り上がっていく。私もコーヒーを飲みながら雑談に加わっていたのだが、次第に飽きてきた。
私の悪い癖で、すぐに何でも飽きてしまう。
でもだからと言って、途中退席するのはあまりにも無礼だし、私は会話にはあまり口を挟まずにみんなの会話に適当に相槌を打っていた。
しばらくそうしていると、唐突に私に話を振ってくる青年がいた。今までずっと黙っていたから、私はその存在を忘れかけていた。それはサークルの人たちも同じようで「今日初めてお前の声を聞いたよ」と苦笑いを零している人がいたくらいだ。
「君はどの小説が好きだい?」
優しくて、年よりは落ち着いた声音だった。
「えっと、さっきも言ったと思うんですが……」
どの作家が好きだとか小説が好きだとかは最初に散々聞かれた。だから今更答える必要なんてないと私は思って、青年のこげ茶色の瞳を見つめた。
「いいや、そうじゃない。僕が聞きたいのは、どうしてその小説が好きなのか、どの部分がどうして好きなのか、っていうことだよ」
あまり深く考えずにいつも読んでいる作家や作品の名前を上げていた私は、少し戸惑った。好きなシーンや感動した台詞は思い出せる。だけど、どうしてその小説が好きなのか、と聞かれると具体的に答えることができなくなる。
「……それは、色々と考えさせられる本だったからです……」
と私は苦し紛れに答えたが、青年の優しい瞳にはその回答に納得していないようだった。
「社会性をテーマにしている作品はたくさんあるよ。なのに、どうして君はその作品が好きなんだい? 何か理由があるのかい?」
「えっと、その……」
返答に困る私を見かねてか、文芸サークルの部長さんが「おいおい」と私と青年の間に割って入ってきてくれた。
「サークルメンバーでもない彼女にそんなに問い詰めるなよ。彼女、困惑しちまってるぞ?」
「僕は別に問い詰めているつもりはないんだけど……」
「お前にはその気はなくても、そうなんだって。お前いい加減その無意識に人を問い詰める癖なくせよな」
呆れたようにサークル部長はため息混じりに言った。だけど青年はちょっと不服そうな顔をして、私と部長を見比べている。
青年の目は私を優しく見据えている。だから青年にしてみては、私を別に問い詰めているわけじゃないのだろう。私はそれを青年の目で理解した。
「……私がこの小説を好きなのは、自殺を否定も肯定もしていない作品だからです」
これが精一杯の答えだった。
「おいおい、無理して答えなくてもいいんだぜ?」
と部長さんは言ってくれたが、青年は私の答えにどうやら満足してくれたみたいだった。目がすっと細めらて、私を真っ直ぐと見つめている。
……これが私と彼との初めての出会いだった。
その時にはまだ、お互いをそんなに意識していなかった。だけど、あのクリスマス会以来私はよく文芸 サークルに招待されることがあって、その度に彼と親密な仲へとなっていった。
……恋人と呼べるくらいの、親密さに。
彼は私より一つ年上で、都内のマンションに住む英文科の生徒。私は民族文化を専攻しているから、あまり講義で出会うことはなかったけど、彼と付き合い出してからは私はよく彼のマンションに行ったりした。
彼が私の家に来ることは、一度もなかった。
私は両親と暮らしているから、彼氏なんて連れて中々連れてこれないし、何よりも私の両親は今時珍しい厳格な両親だったから、とてもじゃないけど、彼を連れて来るなんてできなかった。
まあ、それでも彼のマンションに行ったり、彼と些細なデートを繰り返していたあの日々はとても幸せで温かいものに包まれていたような気がする。気がする、じゃなくて絶対そうだった。
両親からは受けられなかった、無条件の愛情を彼は私に注いでくれていたし、彼の傍にいると私の荒れた心も癒されているような気がしていた。
毎日が楽しくて。
毎日が幸せで。
毎日が嬉しかった。
だけど。
彼はいなくなってしまった。
私の前から、姿を消した。いや消したという表現は、不適切だ。彼は消えてしまったんじゃない。死んでしまったのだ。
それも、自らの手で。
あの日はとても冷たい雨の降る、まだ梅雨明けを迎えていない六月の中旬で、私は家にいた。両親は両方とも仕事で家にいなくて私一人だけが、無駄に広い家にいた。
彼に勧められた小説を自分の部屋で、ホットコーヒーを飲みながら読んでいたのだ。四日前に文芸サークルで「この本お勧めだよ」と手渡されたのはイギリス文学の古典で、原文なんてとてもじゃないが私には読めないのを彼は知っているから、お勧めの翻訳家が翻訳した本を私に貸してくれた。分厚い本で難解なテーマが描かれている作品だけれども、翻訳家の読みやすい翻訳のお陰でスイスイとはやいペースで本を読むことができた。
だから私は本に熱中していて、携帯に電話がきていたことにまで気づけなかった。ようやく電話に着信があったのに気づいたのは、ちょうど本を半分くらいまで読んでいい区切りだからと本を閉じた時。最初の着信から二時間も時間が過ぎていた時だった。
携帯を何気なく手に取り、メールの確認でもしようとしていたら着信が友人から三回もかかって来ていたことに気づき、慌てて友人に電話をかけた。
するとすぐに友人は出て、開口一番に彼が今日の未明に、彼のアパートで死んでいたことを早口で私に告げた。
私は最初、何かの冗談だと思ったが友人の険しい口調と迫力に、ようやく私は事態の重さに気づくことができたのだ。
私は動転しながらも友人にこれから私はどこに行ったらいいか、と尋ね友人は「彼の実家に彼の死体が運ばれている」と答えて、私は友人に彼の住所を聞いてからすぐに身だしなみも整えずに家を飛び出た。
彼の実家に電車で乗り継いで辿り着いたのは私が家から飛び出して一時間後、午後四時半のことだった。彼の実家は私たちの住む県の隣県にあり、辺り一面が田園風景という結構な田舎町にあった。
彼の実家は中々に古風な造りの家で、昔ながらの家というイメージを受けた。門にはたくさんの彼の親戚や友人の車が止まっていて、たくさんの人が出入りしている。私もその中に混じりながら、玄関にお邪魔して、玄関で客人を接待している、おそらく彼の母親だろうと思える人に私は話しかけ、私と彼との関係を簡潔に、そして少し取り乱しながら話した。
すると彼の母親はすぐに何もかもを理解してくれて、彼の遺骸が置かれている和室へと通された。
「…………」
たくさんの人の声が絶えず聞こえる声もただの雑音に聞こえてくる。
彼の遺骸は、和室の部屋の一番奥に安置されていて私はそっと近寄り彼の顔を窺い見る。彼ではないように、という淡い思いを浮かべながら。
だけど、現実はあまりにも残酷過ぎて。
彼の遺骸は冷たくて、まるで人形のようだったけれど、彼の表情はどこか幸せそうに見えた。
「うっ……」
私はその場に泣き崩れ、悲鳴のような泣き声を上げた。
すぐに私を呼んだ友人や、彼の母親が駆けつけてくれて私を必死に慰めようとしてくれたけど、取り乱した私はずっとその場で、彼の亡骸に抱きついたまま、離せずにいた。
3
それからの記憶はあまりない。
淡々と何かが通り過ぎて行った。
彼の両親から彼の幼い頃の話を聞いたり、彼が今日の未明に薬を大量に飲んで自殺したこと。その他にはこれからの通夜や葬儀の日時のことなんかを聞いたりした。
でもボーっと、気力も何も失った私にはそんなことはどうでもよくてただ涙を流しながらそれを聞き流していた。
だが、彼の母親が思い出したように言った言葉に私は顔を思わず上げた。
「そういえばあの子の遺品の中に日記帳みたいなのがあったわ。私も気が動転しちゃっていて、今まで忘れちゃったけれど……。ちょっと待ってて、持ってくるから。あなたなら、見る資格があると思うし」
それから手渡された日記帳を私は家に持ち帰り、落ち着くまでそれを見ることができなかった。度胸がなかったのだ。
彼の日記を読めば、彼との毎日を思い出してしまう。それは酷く辛いことだったし、どうして彼が自殺なんてしたのかも分からない。
もしかしたら彼にはその兆候があったのかもしれない。
自殺する兆候が。
だけど、それに私は気づいてあげることができなかった。それが悔しくて、悲しくて。彼が自殺して、三ヶ月経つまで私は彼の日記帳を開けることができなかったのだ。
彼の日記は彼が高校を卒業した日から始まる。
最初はただその日何を読んで、どう過ごしたかを書いてあるだけで日記というよりはメモ帳みたいに感じたけど、ある日を境に彼の日記は大きく変わる。
味気のない、メモ帳みたいな日記帳からまるで恋愛小説のような優しい文体に変わった日。それは……私と彼が初めて出会った日、半年前のクリスマスの日からだ。
それからの彼の日記は私のことばかり書かれていて、それのどれもが愛に満ち溢れていた。
私が笑うときにできる笑窪が可愛いとか、そんなことばかりが書かれていて。
私は泣きながら彼の日記を読んだ。
彼が自殺してから三ヶ月もの間、私は何も考えずただ怠惰に時間を過ごしてきた。彼が死んだ事実を認めたくなくて、彼から電話がかかってきてくれるような気がして、一日中彼からの電話を待った日もあった。
だけど、そんなものは来るはずもなくて。
だから私は何故彼が自らの手で生涯を終えようとしたのか、探ろうとした。それがもし私が原因で自殺したものでも構わない、と思いながら。
とにかく彼を感じたくて彼の日記帳をまるで分厚い本を読むように読みふけった。
でも、結果は分からなかった。
彼が死ぬ直前に書かれた日記にも、自殺を示唆する言葉とか遺書とか、恨み言とか、そういう物は一切書かれておらず、日記帳の最後のページにはたった一行だけ、紛れもない彼の優しい文体で書かれてあった。
"大好きな君へ。今までありがとう。ごめんね。"
――君を愛しているよ、永遠に。
優しい優しい文字で、優しい優しい言葉を最後に残した彼。
どうして自殺なんてしたのか、今でも分からない。
君を愛しているよ、なんて言ったってあなたはもういないじゃないの。
私はあなたの全てを分かっているつもりだった。だけどそれはお門違いで私は彼をまったく、これっぽっちも理解できていなかった。
最後まで彼は私を傷つけまいとしてわざと真実を語らなかったのだ。
……それすらも理解できずにいた私は、本当に馬鹿で。
4
どうして彼が自殺したのか。
それは彼が誰にも語らず、両親にすらも話していなかったから誰にも分からない。もしかしたら大学でうまくいっていなかったのかもしれないし、精神病を患っていたのかもしれない。
だから私は私は彼が自殺して、半年経ってもその真実を知ることはできない。これからもできないだろう。
だが、以前彼に勧められて読んだ本の言葉にこんなことが書かれていた。
"人は死にたいから死ぬんじゃない。
本当は生きたいのに、生きていけないと思うから死ぬんだ。"
もしも過去に戻って彼とやり直せたら。
そんなことは何度も思った。でも思う度に馬鹿らしいと笑いながら、涙を流し続ける。これが彼を最後まで理解してあげられなかった私の罪だと思って。
あなたのいない毎日は曖昧で、無味乾燥としていて。
あなたが死んでから私の毎日は色を失って。
あなたがいない毎日。でも「毎日」は無理やりにでも私を引っ張っていこうとする。私の心なんて無視して。
私の視界は灰色に濁って、窓の外の晴れた空を見つめる。
悲しい毎日は終わることがない。
あなたのいない毎日なんて、毎日じゃないよ…・・・。
「あなたのいない毎日なんていやだよ」
虚空に呟いた声は空しく、新しい毎日に切り裂かれて消えた。
最期の先生05
橘は俺の話に一々相槌を打ちながら、真摯に話を聞いていてくれた。こんな事はかつてなかった事だ。
「…………」橘は深く溜息を吐きながら肩を落とす。
桃子の元へと。
しっかりとした声で橘は言うと、白いシャツの胸ポケットから青色の細長い何かをを取り出した。目覚ましの針を手動で回すような、そんな音が教室に響いた。
(我が教え子よ、これが別れだ)
授業で生徒達に指導する時のみたいに、やる気のない面倒臭そうな調子で橘は言うと、突き上げた両手を一気に振り下げた。握られていたカッターナイフが、橘の喉元を真っすぐと射抜く。
続きを読むで後書きです。
最期の先生04
7
十二月の始まり、生徒達は受験を控え熱気だっている中、俺の家は冷蔵庫の中よりも冷えていた。
どうして神様はこんなに素直な子を連れて行ってしまったのかね、と年老いた老女が静かに言った。
8
「妹が死んだ」
俺はあの通夜の後、親父にこっそりと話しかけた。俺から親父に話しかけるなんて滅多にない事だったから、相当親父は驚いたらしい。
次でラストです。
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最期の先生03
5
憂鬱だ。
毎日が憂鬱だった。
湧き出てくる感情を止められる事なんかできない。だから、俺はいつでも人任せなんだ。
5・2
夕方、いつものように退屈な部活が終わり、荷物をまとめていた。これから入試に向けて塾に行かなくてはならない。別にそんなにレベルの高い高校を狙っているわけじゃないが、それでもある程度の高校には行きたいから、そのためだ。
すると、そこには一人の小柄な女子生徒が立っていた。
俺の事が好きだとどこか照れたように。
6
素直で率直な意見を言うと、橘は面白そうに顔を歪めた。
「自殺するような……――人を悲しませるような女性じゃなかったのにな」
なんて悲しい顔なのだと、俺は思った。こんな顔をする橘を俺は一度も見た事がない。見ている俺の方も、なんだか胸が痛くなってしまう。
最期の先生02
3
関係、と呼ぶにはあまりにも薄く、味気のない付き合いだった。
ゆらゆらと夕日が蜃気楼のように揺れているように俺には見えた。綺麗というよりは、強烈な光と色。たまにこうしてゆっくりと目で見つめているだけだが、それでも日によって姿形を変える。
確か橘が最初に俺たちのクラスの教壇に立った時、軽く自己紹介を(淡々とした声音だった)し、その時に年齢を確か言っていたはずだった。
まあそれが教師の役目なのかもしれんが、少しだけ歯痒く思う。
「…………」
「父さん。寝るなら二階で寝てくれ」
「帰ってたのか……」
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最期の先生01
1
俺の通う大里中学には変わった教師がいる。
それに、俺は橘にそれほど興味があったわけではない。
だから俺が橘を覚えていなくても、なんら不思議ではない。
2
何故橘が俺のクラスの教壇に立っているんだ。
まるで最初からそこにいたかのように、何故いるんだ。
二時限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると橘は授業中に書いていた白い用紙を集めクリアファイルへと閉じると席を立って教室の外へと出て行った。
「物語を紡ぎ出すのに、理由なんて必要か?」
これがきっかけなのか。それともきっかけなんてそもそもなかったのか。
それでもこれが俺と橘が最初に交わした会話で、奇妙な関係の幕開けになった事だけは確かな事だ。
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タイトル未定1
目元に溢れる涙を堪えるのに、私は相当の労力を要した。今でも涙は隙あらば流れてきそうだ。昨日の夜に散々泣いて、頬が腫れて痛い。今日学校が休みで本当によかった。
明日はまた学校が始まるが、学校には行きたくない。今日も夜になれば涙を堪えることなどできそうにないし、もう聞きたくない。
――由佳が自殺した。
明日になれば、朝の朝礼で全校生徒に知れ渡るだろう。
きっと、教室の由佳の机の上には花が飾られるのだ。見たいはずがない。
つい最近まではクラスメートたちに活発な笑顔を向けていた由佳が、教室にいない。死人として扱われる。
「どうしてよ……」
理解ができずに私はぼーっと部屋の時計を眺めている。時計の針は午前の十一時を指していて、かれこれ五時間はそうしていたことになる。朝起きてからずっと時計だけを眺めていた。着替える気力などなく、ベットから起きる気もない。腕を動かすのも足を動かすのも、顔の表情すら動かすのもダルい。
親は私を気遣ってくれてわざわざ起こしに来ないし、いつもはうるさい弟も珍しく私に気を遣っているらしい。今ばかりは家族に感謝の言葉に尽きる。こんなみっともない顔を見せたくない。
「由佳……」
彼女の名前を呼ぶだけで、一粒の涙が頬を伝う。口に涙が侵入してきて、少しすっぱい。
私の胸の中には、様々な記憶が走馬灯のように蘇る。記憶の中には全て由佳の顔が映っている。……すべて笑顔で。
小学生の時に虐められて、家族と相談した結果私立中学に通うことになった。無駄に頭だけは良い私だ、合格は簡単だった。だが逃げるように入学して来た私は、当然友達なんてできなかった。性格は暗いし要領も悪い私は、いつ虐めの対象にされるかビクビクして一年間を過ごした。
二年生になって、周りは個性を主張する子やオシャレをする子、みんなはどんどん変わっていった。私は変化できないままで、みんなから置いて行かれたような錯覚を覚えていた。
――私みたいな暗い奴、誰も相手にしてくれない。
絶望にも近い感情。
それを打ち砕いてくれたのが……由佳だった。
由佳は新学期、私の後ろの席に座っていた。最初に会話を切り出したのが由佳だ。会話に慣れていない私は上手く言葉を紡ぐことができず、俯いてしまった。普通なら暗い子だな、と思われて相手にもされないのに由佳は違った。由佳だけは違った。
私の長い前髪を掻き分けて、にっこりとほほ笑んだ。
『なんだ、可愛いじゃん』
それから私の由佳の関係は始まった。私と由佳は性格も得意なことや苦手なことも違ったけど、一番の親友へとなった。由佳は勉強は苦手だけど、スポーツがとても上手い。日々部活に励んで、目標はテニスの全国大会出場だといつも意気込んでいた姿が輝いている。
暇な時に私たちは色々な所へ遊びに行った。近い所はコンビニや図書館、カラオケ、遠い所では二人旅を計画して鎌倉へ行った。由佳のお祖母ちゃんの家に泊めてもらって、大仏やお寺、美術館などを二人だけで巡ったのは中学生の私たちにとっては新鮮で、とても面白かった。
中高一貫だから受験勉強に慌てる必要はなかったけれども、由佳が私に勉強を教えてくれと中三の夏休みは二人で図書館で勉強会を開いた。必死に頭を悩ませる由佳が可笑しかった。
由佳と一緒に過ごすうちに私はいつの間にかクラスとも溶け込められて、由佳以外の友達もたくさんできた。
全てが変わった。
由佳のおかげで。
――なのに、何故?
由佳が何か悩んでいたり、可笑しかったりはまったくなかった。私がちゃんと見ていなかったのだろうか?
今でも信じられない。
あんなに明るく、クラスの人気者だった由佳。
悩みがあるのなら、私に相談してくれればいいのに。私じゃ頼りなかったのかな? それとも私なんて、親友じゃなかった……?
考えれば考えるほど、胸が痛くなり呼吸が荒くなる。
「由佳ぁ……」
熱い涙がまた、一粒頬を伝った。ボロボロと、濁流のように流れていく。
――また、泣いてしまった。
一度涙を流せば、止めることは難しい。……また、ずっと流し続けるんだ。明日は学校には行けないだろうなぁ。
「うっ、う……」
泣いたとしても、死人は答えてくれない。
涙というのは無意味なものだと私は思う。ただ由佳の顔を思い出すだけで、胸を苦しめるだけのもの。
解決はきっと、涙以外のなにか。今の私にはわからないけれども、きっと解決するんだ……。記憶が霞んでいくのと同じで。
由佳のことを、忘れる。
きっと、近い未来に。
Ai
僕と千草は一緒に街までショッピングに来ていた。街の中心部と言っていい場所を大規模に陣取っている大手ショッピングセンター。映画館から食料品まで人間が一生の内に消費する全てが揃っている。
ちょうど僕たちが来た時はクリスマスシーズンだったからどの店もクリスマスの特売を行っていて、やかましく鳴り響くスピーカーから流れる音楽に僕は頭を押さえないといけなかった。
「ねーもう帰る?」
さきほどからずっと頭を押さえていた僕を見て、千草が呆れたように言った。千草の両手にはブティック店で買った衣服の入った袋がぶら下げてある。
「少し静かにしてれば大丈夫……だと思う」
ショッピングモールに流れるクリスマスソングが僕の頭を痛める。僕にとっては華やかな音楽でもただの騒音にしか聞こえない。
「っても、どこで休めばいいんだろ? どこもうるさいよ?」
「ほら、例えば屋上とかないの? 夏の花火大会の時、ここの屋上で見物してた人いるじゃん」
たくさんの店舗が入っているショッピングセンターは全部で五階のフロアがあって、屋上はかなりの高さになる。
「屋上? こんな寒いのにー」
千草はブーブーと文句を言っていたが、結局は妥協し僕たちは屋上へと続く階段を上って、頑丈な鉄の扉を開けて屋上へと上がった。さすがに12月の屋上は寒くて、身を切り裂くような風が吹き荒れていた。
「ねぇ、やっぱ寒いよー」
不満げに千草は口を尖らせた。
「ちょっとだけだから。ね?」
僕は謝るように言うと、入口の真正面にある鉄でできたフェンスのある場所まで歩いた。フェンスは僕の身長より高くて、頑丈にできていた。
僕と千草はむき出しになっているアスファルトに腰を下ろした。
空は赤みを帯びて、太陽は後数十分で沈もうとしているところだった。地上に姿を潜めようとしている太陽は血のような色を身に纏っている。
誰もいない屋上は異様に静かで、風の音が耳を掠めるくらいだった。ショッピングモールに流れる音楽で頭が痛くなる僕にとってはありがたいほどに落ちつける場所だ。
「蓮君って本当に色々駄目だね」
千草が、まるで僕が全ての物に対してトラウマを持っているんじゃないか、と疑いの目を持って僕に言った。
「僕は音楽が駄目なだけなんだ」
僕は慌てて否定した。僕は確かに音楽が苦手だけれども、それは別にトラウマじゃない。トラウマというのは過去経験した物に拒絶反応を示すものだ。僕は生まれつき音楽が嫌いなのだから、トラウマではない。
「後、暗闇も駄目でしょ?」
「ううっ」
確かに、千草の言う通り僕は暗闇が嫌いだ。どんなに月の明りが射していたって、小さな人工的な明りがないと眠れないんだから。
子どもっぽい、とは思う。もう高校生なのに明りもなしで眠れないなんて、これじゃあまるで小学生だ。
「蓮君トラウマいっぱ~い」
間延びした千草の言葉に、僕は少し悔しい気持ちになる。千草、絶対に僕をカラかって楽しんでるだろ。
ニヤニヤ笑っているし。
「……そういう千草はトラウマないの?」
いつも自分のペースを崩さず、自我を突き通している千草。そんな千草にもトラウマはあるのだろうか? ちょっと気になった。
僕の好奇心を帯びた視線に、千草は少しだけ困ったように表情を崩して笑った。
「私~? 私にもあるよ~」
「千草のトラウマって何? 熱いもの?」
猫舌な千草は、熱い飲み物が飲めず、毛嫌いしている。
トラウマとは少し違うんだろうけれど。あんまりに嫌そうな顔をするものだから、つい言ってみた。
だが、千草はいつもみたいに茶化すような口調ではなく、珍しい真面目な表情で僕を見つめた。
いつも思うんだけれども、千草ってやっぱり美人だ。生まれてから一度も染めたことのない絹のような髪の毛、透き通った肌の色、彫りの深い目と、バランスのとれた顔立ち。中々お目にかかれない美人だと思う。
だから、そんな美人の千草が真面目な顔をするとひどく美しく見える。夕日の光が僕と、千草を浴びせるように照らし、アスファルトの地面には僕と千草が向かい合うような影ができていた。
「……私は、家族かな」
囁くような、だけれども確信を含めている声音で千草はそう言った。
「家族が、トラウマ?」
「そう」
内に溜まる感情を吐きだすかのように、千草は白い吐息を漏らした。それはまるで溜息のようでもあって、僕の心は少し憂鬱になる。
「それじゃあ、どうしょうもないね」
まるで人ごとのように僕は呟く。
どうしょうもない。
その言葉が、何故だか凄く無機質で無情な意味を帯びているような気がした。
言ってから、僕は少しだけ、また憂鬱になって、思わず小さく溜息を吐く。白い吐息が、なんだかとても寒げに見えた。
千草は僕をちらりと一瞥すると、微かに笑った。
「うん。どうしょうもないね」
そう言うと、千草はまたにっこりと笑うとまた吐息をもらした。
その姿が、どこか悲しそうで。
僕は何とも言えずに、千草から視線を逸らした。
葛藤
グロテスク描写注意
その日、私は特に機嫌が優れないわけではなかった。ただ寝床についたのが午前三時と、ここ最近私は不眠に悩まされていたのだ。
長時間寝るのだが、あまり満足した眠りを得ることができない。そのせいか妙な夢に悩まされることが多々あった。今まで二重夢など見たことがなかったのに、この日は四つの夢を連続して見た。
昼に起きた時は寝心地は最悪。頭は痛いし、体の力が入らない。
――やはりあの夢のせいだろうか?
今でも鮮明に記憶に残っている夢を一つ挙げてみよう。
その日私は猫を殺そうとしていた。
理由は、訓練だ。誰かが課したものではなく、私自身に課した私だけの訓練内容。修行内容とも取れるかもしれない。
選んだ猫は偶然私の前に通りかかった、テレビの砂嵐のような色の髪をした猫。私は猫には詳しくないので、種類は分からない。
私は猫を見つけるや否や猫に飛びかかり、猫を瞬く間に捕らえてしまった。時間にして一分もかからなかったと思う。
猫は抵抗したが、私の力には叶わない。鳴き声も出すことがなくて、ただ四肢をバタつかせていた。
私は猫の細い首に手をかけた。
このまま絞め殺そうとしたのだ。猫の整った毛並みがフワリとした柔らかい感触を覚える。まるで既に捌かれた豚肉のような感触だったことを覚えている。私は手に力をこめる。
が、すぐに手放してしまった。
理由は簡単。猫を殺すのに道徳心が働いたからだ。
ただし、可愛そうなんていう動物愛護者のようなものではなく手が汚れる、生き物を殺したことがない、という我儘な理由でだ。
だがそれでは自分が課したノルマが達成できない。それでは駄目だ……と思って私はもう一度猫の首に手をかける。だが、またすぐに離してしまう。
邪魔したのは身勝手な理由と、何かが阻止しているような気がしたからだ。よく現実の世界で人を殴る時、途中で止めてしまうような言葉で表せない、何か。
悲しくなってくる。
どうして猫が殺せない。この程度ならすぐに殺せるだろう。こんなのでは人を殴れないだろう、こんなのでは人を殺せないだろう――。
私は猫の首に何度も手をかけて、すぐに手を離すという行為を続けた。手が汚れるのが嫌ならば棒かなにかで殺してしまおう、と私は太いが長さはない木材のような棒を道端で拾い、猫を殴った。
殴れた、ということに私はこの上なく喜びを感じた。一つの達成感が身を襲ったのだ。
あとは猫の細い息の根を止めてしまうだけだ。
私は何度も猫を殴った。その度に生々しい音が耳に届いたが、構わず殴り続けた。
が、死なない。
こんなに細い体で、弱い生き物だ。どうして死なないのだろう……私は疑問に思った。だが理由はすぐに分かった。
力が、足りないのだ。
いくら木材を使っているとは言え、力をこめなければこんなものはただの玩具でしかない。私は愕然とする。
私は猫すらも殺せない、弱い心の持ち主なのか。
唇を強く噛んだ。
そして心に強く誓ったのを、私は今でも記憶している。
『絶対に殺してやる』
確かに私は痙攣する猫を見ながら、誓ったのだ。
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